私はケチである

ケチ子おばさんの雑談・独り言(^^)

自分の機嫌がとれない大人でいたくない ご機嫌でいるために、自分で自分の機嫌を取る方法

 

 

社会で働いていると、なんだかんだとストレスもあり疲れることも多いです。それは、私に限ったことではなく、だれもが感じている事でもあります。ストレスがない社会があれば一番良いのですがそういう訳にはなりません。

 

先日、趣味の一つである街道歩きに久しぶりに出かけてきました。

秋のさわやかな空に紅葉も美しく、とても気持ち良い一日を過ごすことが出来ました。

甲州街道歩き 山梨県上野原市

街道歩きをしていた時、とても楽しいなぁと思ったのです。

お天気はとても爽やかだし

周りの景色はきれいだし

紅葉もちょうど見ごろで美しい

街道歩きは体を動かしているので、気持ちが良い

のどが渇くので、いつもの麦茶がとても美味しい

お腹が空いて食べるお昼もおやつもかなり美味しい

おやつの酒まんじゅうと公園で食べたお弁当

 

ストレスで疲れていた心が癒されているなぁと

自分で自分の機嫌を取るとは、こういう事なのかと思いました。

 

自分の機嫌を自分で取るということを少し言い換えると

自分の機嫌を他人にとってもらわない

 

自分の不機嫌は自分で機嫌よくすることなのかもしれません。

 

誰でも社会でいるとストレスがたまります。心は不機嫌になります。その不機嫌をどうやって機嫌良くするのか。

多くの人は、誰かに相談することや話を聞いてもらうことで、自分を肯定してもらったり、共感されることで機嫌を取っているように思うのです。それも一概に悪い事ではありません。

自分の不機嫌を他人に機嫌を取ってもらおうが、自分の自分の機嫌を取ろうが、機嫌を取ること自体は、ストレスなどの根本的な問題の解決ではないような気がします。

 

機嫌は取れても根本的な問題解決ではない

 

ならば、自分の不機嫌を他人にぶつけて機嫌を取ってもらわず、自分で自分の機嫌をとれることば良いじゃないかと思ったのです。そう思うと、自身の不機嫌を他人に取ってもらおうとする人は結構いるような気がします。

 

機嫌を取るとは

人の気分を慰めて和らげるようにする

人が喜ぶような働きかけをすること

 

 

ストレスの原因の多くはすぐに解決するようなことはないので、

自分の不機嫌を自分で機嫌が良く出来ると良いじゃなか。

 

甲州街道から眺める中央自動車道

 

 

話がそれる人 おばさんらしく生きる

 

 

他人と話をするときに時々感じることなのですが

微妙に話がそれる人がいます

 

他愛もない世間話ならば、ま、仕方がないかなと思うのですが、そうでない話をしている時は結構困ることになります。

 

何が、困るのか

話の中で聞きたいことが聞けないことに困ります

 

そして、聞きたい話を聞けないまま何度も脱線を繰り返すので、もはや何を話していたのかさえ分からなくなる時もあります。

 

時間つぶしの世間話でも、長く時間がとられれば結構面倒です。

おばさんになり、時間にもゆとりが出てきてはいても、暇ではないのです。あーだこーだと無駄話をする時間はもったいないです。私にもやりたいことがあります。

 

話が微妙にずれる人は面倒

 

なんで、微妙に話がずれるのでしょうか?

例えば、ハイか、イイエで答える内容のであったとしても、でもね…とか、そうじゃなくて…とか、枕詞を付け加えて話をそらし、ハイかイイエで答えないのです。

聞いている側は、とりあえずハイかイイエのどちらかの答えを聞いて、二択を一択にしてから話を展開しようとしているのに、何故かあるはずがない謎の三択目が登場して話が変わっていく現象。

 

疲れます_| ̄|○

話は、突拍子もない方向に進み

本来の話も出来ないまま、全く違う方向になっていく…。

 

余談ですが…

私が体験した母との会話では、さらに凄い展開になったことがあります。

上記の様に話がずれてしまい、戻そうとしてもなんだか戻らず、ズレにずれて時間が長くなり…

ケチ子と話をしていると話が長くなるわ、もう寝よう。

と、本末転倒_| ̄|○

え、私が悪いの?と思わせる謎の否定をされる。

話が長くなるのは、話をそらして、ずれらして、内容が変わっていくからなのです。親だと思って聞いていたのに、最後には👆と言う。

しかも、私が悪くて、自分は付き合わされた被害者という内容をシレっと言うのもどうなのか。そんな失礼な事を他人に言わないよねぇ。

話をそらす人の中には無神経な人もいる"(-""-)"。

 

話が長くなるのは、話をそらすからです!

 

 

話がそれる人って

多分、話を聞いていても、内容が理解出来ていないのだろうな

話の意図が解らないから、内容に沿った返答(会話)が出来ない

話の中で耳に入った言葉(単語)から連想して返答しているのかも

そりゃ、話はそれるよね

 

他人と話をするときは、話の主旨を考えてそれに対する返答をするし

会話では、話す口調や声のトーンなどでも、相手の気持ちを察します。

話がそれる人は、相手の言葉も気持ちも解らないのだろう

相手の気持ちがわかると、自分の返事が的を得ていない時は、なんとなく気付くから言い直すし。

 

自分は話が出来ている、会話できていると思っていることが多い

こういう人に関わると面倒

 

解決策は 関わらないの一択

 

 

 

ニュースで見た居眠りをする理由… おばさんらしく生きる

 

 

先日、ニュースを観ていて気になることがありました。

内容は、市議会で会議中に居眠りをすることや、議事に関係のない読書をしており、防ぐために議員の顔が解る角度でYouTubeで中継をするという内容。

www3.nhk.or.jp

 

そもそも、会議中に居眠りをするのは良い事ではなく、してはならない事です。

学生の学校の授業を受けているような感覚でもありますが、学生だとしても授業に関係のない事をするのではなく、授業を受けて学ぶのが学生です。

 

会議中に寝てはいけません

会議中に関係のない読書をしてもいけません

 

記事の内容に

質問や答弁が退屈にならないように工夫することも必要

という意見があったとありました。

👆これ、居眠りをする言い訳?

 

そもそも、会議中に居眠りや関係ない読書をしていることに関しての事なので、退屈な事の内容では無いと思いのですが‥。

 

退屈だから居眠りをする?

話の論点をすり替えて、居眠りをしたことに対して他に原因を擦り付けて正当化している、単なる面倒な人であり、厄介な人です。

 

どんな理由があっても、

会議中に居眠りはしません

 

会議が退屈

退屈な会議だと居眠りをしても良くて、退屈な会議をする方に原因がある?という事?

世間はそれで通用するの?

 

退屈な会議があったとして、

居眠りをする理由ではなく、関係ない別問題です。

活発な議論が出来るようにすれば良いのです。

 

自分が責められているように感じるからと言えども、

論点をすり替えては、問題が解決しないです。

 

なんだかなぁ_| ̄|○

話の論点をすり替える人は厄介な人です。



 

 

頑張って逃げているのに…おばさんらしく生きる

 

 

おばさんになってからは他人と関わるのは最小限で良いと思い、プライベートでは一人時間を過ごします。職場でも仕事の話はしますが、休憩時間は一人で過ごすようにしています。それの方が楽だということに気付きました。

 

職場では自分の事を話さないようにしています。隠すのではなく、わざわざ自分から話す必要がないと感じた事と、他人の話を聞くようにする方が良いと思ったのが理由です。

おばさんになれば、聞き役に徹するのも良いのではないか

 

ほとんどの人は、一人で休憩していると用が無ければ話しかけてくることは無くなりましたが、数名はそれでも話しかけてくれます。

そういう人には関わりたくないので、出来るだけ近くに寄らないようにして物理的に距離をとり、眼も合わさないようにして避けています。

 

それでも、わざわざお菓子をもって近寄ってきたりされます。

何もそこまでしなくても…

 

私が避けていることに気付かないようです。

頑張って逃げているのだけど、気付いてくれない_| ̄|○

 

集団の中にいることで安心感と自分の存在を感じているように思います。それはその人が感じるものであってそれで良いです。しかし、私は集団の中にいると疲れるので、一人が良いのです。

考え方や感じ方は人それぞれ

 

なんとなく雰囲気や空気感で解らないのかなと思うのですが、思ってくれない事にはどうしようもありません。

私が逃げているのに気づいていないのか、他人に避けられている自分を認められないのかもしれません。

 

年齢を重ねると、集団でいることを好む人と一人を好む人に分かれるような気がします。高齢者が一人でいると認知症が進むと言われたり、集団で他人と会話を楽しんだ方が刺激があって良いと言われます。確かにそうかもしれないのですし、そういう人もいると思います。しかし、全員に当てはまることではないと思うのです。

 

一人でいるのが良いと思う事を理解できない人は、集団でみんなと一緒に話をして楽しく過ごす方が良いという価値観を他人に押し付けているのです。

何で、こうなるのかなと考える。たぶん他人の気持ちが解らないのだろうなぁ。でも、そういう人は結構周りにもいます。振り回されることも多く、厄介な人の事がほとんどです。逃げるが一番。

 

良かれと思う事は相手にとって良い事でない事もある

悪気が無ければなにをしても良いということは無い

 

逃げ続けるのも結構疲れますが、捕まるともっと疲れる

 

独り登山が好き 甲斐駒ヶ岳黒戸尾根での自撮り写真

 

話が変わる瞬間とその結果 おばさんらしく生きる

 

 

 

少し前の事なのですが、

職場に中途採用で新しい人が入ったのですが、なかなか仕事が覚えられず退職された方がいました。

 

仕事が覚えられないのは、それはそれで大変なのですが、少し気質が荒い人であり、他の同僚と言い争いをすることがありました。

新しい職場に来て、職場の人と言い争いをすること自体が気になるところでもあるのですけれど、ある意味で素直な人でもあります。良いか悪いかを考えると、もちろん、良い事ではありません。

 

新しい人と言い争いをした同僚のAさん、そして、その場に居合わせた同様のBさんは、新しく入った人が荒々しく意見を言った事を主張し、正当防衛的に強く言い返したと、当初は言っていました。

しかし、その後はだんだんと話の内容が変わっていく。

強く言い返した事は無かったと。

冷静に話をしていたと、BさんがAさんの様子を言いなおし、Aさんもそんなに強く言ったつもりはないという。

 

話が変わった瞬間だった

 

この時はもともと強く言い争いをしたという双方がそもそも良くないのです。言い争いで物事を解決することはできないから。

 

なかなか、自由というか、無理やり良く言えばアットホームな職場とも言えますが、話の内容が変わるのは良い事なのかと考える。勿論、良い事ではありません。

 

この時に変わった内容は、強く言い返さず、冷静に対応した事でした。

このことで立場というか、良い思いをしたのは、強く言い返したAさんです。新人さんは一方的に荒々しく意見を言った人となりました。

そう思うと、話が変わった理由と、目的がなんとなく理解できます。

 

Aさん、Bさんは、とりあえずその場をしのげたかもしれませんが、大きなものを失ってしまいました。

 

職場の中での信頼は取り戻せない

 

お地蔵さまも身代わりしてくれないと思う



 

 

久しぶりの青空は秋の空

 

 

空を見上げる

やっぱり青空はきれいだ



冷え込んだ朝

今年も秋から冬へと季節が駆け足で変わっていくのを感じる

 

早朝の公園をジョギングする

青空に公園の木がとても良く映える 美しい

紅葉していない公園の木々の葉は青々としていた

 

公園に祀られている神社にお参りする

少し高台にある神社に向かって

走りながら上り下りするのも気持ちよい

お社を見上げる

屋根の朱色、青空、木々の緑

とてもきれいだなぁ



銀杏の木の下には銀杏拾いをしている人の姿

もうそんな季節か

再び空を見上げる

 

今日も一日頑張ろうか

良い日になる良いな

そう思った

失敗した…人間関係は難しい おばさんらしく生きる

 

 

 

最近、職場の人間関係で失敗しました。

私は、他人と距離を持ちたいと思うので、積極的に他人と関わろうと思っていないです。若い頃ならそんなこともありませんでしたが、おばさんになれば、今以上に人間関係を増やすと面倒なことが多くなるので、自分自身が楽しめる生活を送れれば良いと思っています。

 

職場の人間関係も、仕事が出来るだけのコミュニケーションが取れればよいと思っています。それ以上の人間関係は必要ないと思っていますし、その方が楽だと感じています。

 

職場にいるAさん。

私より少し年齢が上である同じおばさんです。世間話をしてもはきはきとしているように見える方で、良い人なのかなと思い、普通に話をしていました。また、同じおばさんとして共感してもらえるかなと思い、少し踏み込んだ話題をしたことがありました。

このことが大きな間違いでした。

その人の事を解るきっかけになったことは良かったのかもしれませんが、失敗したなぁと悔やんでいます。

 

Aさんは、おんぶに抱っこ状態となり、他人に依存するタイプでした。そして、プライベ―トに入り込んできそうになり、慌てて逃げる💨。

何かと首を突っ込んできては話題を自分の自慢話にもっていくので、関わると面倒。

一見、聡明そうに見えましたが、隠れて解らなくなっている面倒な人だったことに気付いた時にはすでに遅かったです_| ̄|○

 

仕事でもプライベートでも一方的に依存されると、こちらはとても困ります。そして、大変疲れます。

 

面倒な人に遭遇すれば距離を取る、逃げるが一番です。

しかし、面倒な人の多くは他人の空気感を読めないので、逃げられていることに気付きにくく、仲良くしようと遠慮なく近づいてきます。やっぱり、この人面倒だ。

 

そうは言っても、私にも悪い所があります。

Aさんが面倒な人だと見抜けなかった事。そして、近づいてしまった事。失敗しました。

 

再度、おばさんとしての心構えを思い出す。

他人にむやみに近づかない

 

秩父34観音霊場 19龍谷

 

心がほっこりとした関西弁

 

 

お昼前の地下鉄の車内。

午後出勤の私は車両の片隅の席に座っていた。真昼の地下鉄はなかなかの混み具合で、座席は全て埋まり、立っている乗客も多くいた。

ドア付近で立っている乗客の中に関西弁で仕事のような話をするサラリーマン風の二人組がいた。地下鉄車内の話声は良く響くものだ。

 

地下鉄は、乗り換える乗客が多いターミナル駅に着いた。その時、ベビーカーに乗せた赤ちゃん連れの親子が乗車してきたのが目に入った。私も子育てをしたので赤ちゃん連れの大変さは良く解る。

席を譲ろうと立ち上がり、車両の中ほどに移動した。席は空いたけれど、ベビーカーを持ったお母さんはそのことに気付かず、子供を抱きかかえてベビーカーの置き場所を探してドア付近で落ち着かない様子だった。

 

空いてますよ

関西弁のサラリーマンの男性が赤ちゃんを連れたお母さんに声をかけた。

お母さんは、空いた隅の席に無事に座り、ベビーカーもその場に置けたのを観て少しほっとした。そして、思った。

 

関西弁のサラリーマンは解っていたのではないだろうか。

その人がどの駅で乗ってきたのか覚えていないけれど、私より後で乗ってきたのは確かで、その時に席は埋まっていた事。そして席を空けた事。

それが解っているから出た言葉。空きましたよではなく、空けてくれたよでもなく、空いていますよ。

わざわざ席を空けてくれたと伝わると、恐縮して大丈夫ですと立っていることを選択する人も多くいる。空いていますよは押しつけがましい感じがなく、すんなりと席に座れる言葉。そして、周りの人にも状況が良く伝わる言葉。

 

関西弁であったのも感じが良かったのかと思ったけれど、もしかすると関西弁を使う人の心遣いが良く感じたのではないかと思う。関西人、大阪人の心遣い。東京の人にも心遣いはあるけれど、関西とはまた違う。

 

関西弁の心遣いは素晴らしい

 

世間には、まだまだ私の知らない良い所があるのかもしれない

 

世の中にはいろいろな人がいて、様々な主張をしている。

何だかギスギスしているように感じる時もある。

しかし、まだまだ世間は捨てたものでは無いのかもしれない。

 

空いてますよ

心がほっこりした

 

来年(2023年)の干支である兔の狛犬
調神社(さいたま市浦和区)



 

 

 

 

お金に執着しすぎない方が良い

 

 

色々な物事に執着しすぎない方が良いとなんとなく思っています。

執着心が強いと物事がうまくいかないような気がするのです。なんとなくですが。

 

その中で、最も執着しすぎない方が良いと思うのがお金💰です。

 

私はケチであり、お金に執着がありそうと思われるかもしれませんが、お金💰には気を付ける方が良いと思っています。

 

少し前に、ポッとお金をもらうことになりました。

金額は110万円

多いと思うか、少ないと思うかは…(;^_^A。

お金をもらった理由は遺産相続の一部です。

 

自分で働いたお金でもないので、これは最大級の執着してはいけないお金です。

 

使ってしまえ~ヽ(^。^)ノ。

 

子供と相談をして

大学生の子供に5万円

私5万円

と、お互い自由に使える、使ってしまえる金額を決めて

残りはもちろん

学費

 

ちょうど、大学の後期の授業料納入であったので、このお金を使って無事に納入。有難い事です<(_ _)>。

 

大学生の子供は、臨時でお小遣いが入ったので喜んでいました。

 

しかし、お金は大学の授業料の一部に使いましたが、大学の授業料は私が働いたお金で支払う予定です。

つまり、貰ったお金を大学の授業料の一部に使ったのは事実ですが、私は自分の働いたお金で払う予定にしていたので、そのお金が浮いてきました( ̄ー ̄)ニヤリ。子供はそのことに気が付いているのでしょうか(;^_^A。

 

お金に執着しすぎない方が良いです(;^_^A

 

勿論、浮いたお金は老後の資金ですm(_ _)m。

荒船神社(群馬県)の変顔している狛犬
鼻の穴が気になる…

 

おばさんになると思い込みが激しくなるのか?

 

 

 

私もすっかりおばさんという年齢になり、立派なおばさんとなりました。

 

自分のことは棚に上げて…と思うのですが、

なんで、おばさんは思い込みが激しいのだろうと思う事がありました。

 

そして、たいてい思い込みが激しい人は、人の話を聞かないという特徴も備えているように思います。

 

思い込みが激しいのは思考の問題とも思いますが、人の話を聞かないのは心がけで少しは何とかなるような気もします。

 

何で、人の話を聞かないのか?

自分の話を聞いてほしいと思っているのかもしれません。そういう人の多くは他人の話を最後まで聞かずに自分の話をかぶせてくることも良くある気がします。他には、自分の思うように話の流れを持っていきたいと思っているのかもしれません。いずれにしろ、単なるわがまま。

 

しかし、これでは周りは迷惑します。おばさん相手だと何かと面倒になることは避けたいものなので、周りの人はさらっと受け流してくれているのかもしれません。

 

私も、周りに迷惑をかけているのか

出来るだけ、周りに迷惑をかけないようにしたいと思う。

 

おばさんには可能なのか

難しい問題かもしれません

 

思い込みが激しく人の話を聞かない人がいると、私は距離をとります。面倒な人であることが多いから。

 

私、やばいかも_| ̄|○

お寺で日向ぼっこしていた猫