私はケチである

ケチ子おばさんの雑談・独り言(^^)

心がほっこりとした関西弁

 

 

お昼前の地下鉄の車内。

午後出勤の私は車両の片隅の席に座っていた。真昼の地下鉄はなかなかの混み具合で、座席は全て埋まり、立っている乗客も多くいた。

ドア付近で立っている乗客の中に関西弁で仕事のような話をするサラリーマン風の二人組がいた。地下鉄車内の話声は良く響くものだ。

 

地下鉄は、乗り換える乗客が多いターミナル駅に着いた。その時、ベビーカーに乗せた赤ちゃん連れの親子が乗車してきたのが目に入った。私も子育てをしたので赤ちゃん連れの大変さは良く解る。

席を譲ろうと立ち上がり、車両の中ほどに移動した。席は空いたけれど、ベビーカーを持ったお母さんはそのことに気付かず、子供を抱きかかえてベビーカーの置き場所を探してドア付近で落ち着かない様子だった。

 

空いてますよ

関西弁のサラリーマンの男性が赤ちゃんを連れたお母さんに声をかけた。

お母さんは、空いた隅の席に無事に座り、ベビーカーもその場に置けたのを観て少しほっとした。そして、思った。

 

関西弁のサラリーマンは解っていたのではないだろうか。

その人がどの駅で乗ってきたのか覚えていないけれど、私より後で乗ってきたのは確かで、その時に席は埋まっていた事。そして席を空けた事。

それが解っているから出た言葉。空きましたよではなく、空けてくれたよでもなく、空いていますよ。

わざわざ席を空けてくれたと伝わると、恐縮して大丈夫ですと立っていることを選択する人も多くいる。空いていますよは押しつけがましい感じがなく、すんなりと席に座れる言葉。そして、周りの人にも状況が良く伝わる言葉。

 

関西弁であったのも感じが良かったのかと思ったけれど、もしかすると関西弁を使う人の心遣いが良く感じたのではないかと思う。関西人、大阪人の心遣い。東京の人にも心遣いはあるけれど、関西とはまた違う。

 

関西弁の心遣いは素晴らしい

 

世間には、まだまだ私の知らない良い所があるのかもしれない

 

世の中にはいろいろな人がいて、様々な主張をしている。

何だかギスギスしているように感じる時もある。

しかし、まだまだ世間は捨てたものでは無いのかもしれない。

 

空いてますよ

心がほっこりした

 

来年(2023年)の干支である兔の狛犬
調神社(さいたま市浦和区)