私はケチである

ケチ子おばさんの雑談・独り言(^^)

お昼休憩の苦痛と対処法

学生の頃より「お昼休憩」が苦手です。

職場の昼休みをどう過ごすかは結構気を使います。他の人にとっては「同僚と和気あいあいと話をする楽しい時間」ですが、私にとってお昼休憩時間は一番疲れる時間です。

何で休憩時間なのに一番疲れる時間なのかと、未だに思います。


一般的なお昼休憩

どこの職場でもお昼休憩はあり、職場で食事をする人が多いと思います。男性は女性ほど集まることはないかもしれませんが、女性あるあるの一般的なお昼休憩を書きます。

お弁当持参の人が多いか、買い出し派が多いかはその職場の方々によると思いますが、少なからずコンビニ買い出しの人はいるような印象があります。

職場には、食事を食べられるスペースがあることが多く、そこに集まって食事をすることが多いです。ざっくばらんに会話を楽しむ時間です。

約1時間の休憩時間が終わるころ、お弁当を洗う人、ごみを捨てる人とそれぞれ撤収する。とまぁこんな感じでしょうか。


1. 誘ってもらえるのは嬉しいし気遣ってもらっていることを感じる

休憩時間になると、コンビニ買い出し派が出発します。
大体コンビニに買い出しに行けば15-20分要します。
「コンビニ行きますが、どうしますか?」と声をかけてくれます。気遣いはとてもうれしいです。基本的にお弁当持参の私はコンビニに行く必要はないのですが、断ると、一人で約15分待っていることになります。
その集団は、お弁当持参の人もコンビニパトロールに行き、新製品やお菓子等を買う人がいました。一人で待っていることに気を使われると申し訳ないので(多分誰もそこまで気にしてはいないのですが)、とりあえず一緒に行くことが多いです。

もともとケチな性格で、余計なお金はほとんど使わないし、使えない性格なので、ぶらぶらと店内を物色しながら他の人たちのレジの状態を遠くからみて、タイミングを見計らい合流するという、大変面倒くさい行動をとります。はい。


だったら、ついていかないで職場で待っていればよい
はい、ごもっともです。


2. コンビニ買い出しから始まる会話
とある集団ができれば、その中である程度会話の主役をとる人が出てきます。話好きと聞き上手という感じでしょうか。話好きな人は誰が聞いても楽しめる会話をしてくれていると思うのですが、その会話に入っていけないことが多くあります。私自身は特別会話に入りたいわけではないので、いつ会話を振られても大丈夫なようになんとなく流れを聞いていることが多いです。

別に誰も悪気はないと思うのですが、話に隙間を作らない人がいます。別に私だけに限らずですが、第三者が会話に入れないようにというか、上手く隙間を作らない人っているように思います。その人にすれば、楽しく会話をしているのに、横から入られて流れが変わる事や、話の中心に自分がいられなくなるのが嫌なのでしょう。

時折、話の内容で、例えば犬などの共通話題で、「ケチ子さんも犬飼っていましたよね。」と会話を振られたりします。そういう時、明らかに顔色の変わる人がいます。顔色が変わる人は私個人に対する感情でないことが多く、単に話の流れが自分から変わる事が嫌なのだと思います。全くどうでも良いことです。めんどうだなあ。

出来るだけ、簡単に話をして、話の流れが戻るように頭をフル回転させますが時折回転が変なところで止まり、空気を乱すことがあります。
気を使っているにも関わらず、気を使いすぎて、場の空気を変えてしまう残念なケチ子です。会話は苦手です。


だったら、会話に入らなければよい。軽く受け流せばよい
はい、ごもっともです。


3. 休憩時間一時間を長く感じる
職場は、仕事をするために集まった集団であり、プライベートでの仲良し集団ではありません。なので、ニコニコして周りと強調することが求められますが、中には個性の強い人や、比較的感情が良く出る人もいます。

人と接したり、集団の中にいると、周りの会話、空気、表情、しぐさ等でその人が考えていることや感情が伝わります。職場なので誰もが解る明らかに悪い印象の表情をする人はいませんが、それでも少なからず人は思っていることが顔に出ます。たいていの人はその表情やしぐさまで気付かないのでしょうが、結構気付いてしまうことが多くあります。

例えば
Aさん、暴走した。
Bさん、巻き込まれた。嫌なのに必死で顔に出さず合わせている
Cさん、自分の個性的な趣味の話を楽しめる人がいないのでつまらない
Dさん、様子を心配そうに見ている

こういう状況だと、この集団にいる人皆が良い気持ちは持っていません。皆が良くない気分なのに、休憩時間終了までその場にいなければいけないのは苦痛しかありません。


席を立てばよい
はい、ごもっともです。


4. 周りに気を使われないで一人でいる。
集団の中にいると、良くも悪くも色々と気遣ってくれることが多くあります。
大抵は良い気遣いをしてくれます。

例えば
・何か困ったことはないか
・一人でポツンとしていないか
・仲間外れになっていないか
・周りの人と上手く関われているか  等

これらは、集団にいられるように良い気遣いをしてもらっています。
しかし、上記1,2,3の最後にかいた「だったら~すればよい」とう解決策は、集団から離れることばかりです。
つまり、集団に入れるように気遣いをしてくれているのが解る。しかし、集団にいることで疲れる。解決策は集団から離れる。と、目的は達成されるどころか反対が解決策という、なんとも腑に落ちない結果になっています。

そして、それが解っていても、良い気遣いをしてくれた人に申し訳ないので、自分自身が良い気分で集団にいるように見えるようにしようと努力してしまい、さらに疲れてしまいます。究極の悪循環です。
もう、勝手にしなさいです。はい。


5. 解決策はあるのか
今、私は休憩時間を外の公園で過ごしています。もちろん一人です。
心苦しいですが、快適そのものです。

集団にいることが苦痛に感じるのであれば、離れればよいだけなのです。そんな簡単な事なのにできないのは何故なのか?

それは、気を使ってくれている人に申し訳ないからです。
そして、一人になることに多かれ少なかれ不安があります。もしかしたらこの集団から一人を選ぶと、その後に何か困ることが出てくるのではないかと。

色々考えればきりがないので、
極簡単で、誰でも思う解決策です。

【解決策1 一人になる】
一人になるためには
・一人でいられる場所がある事
・一人でいられる自分であること
この二つが大事だと思います

【解決策2 誤解されないように伝える】
せっかく気を使ってもらったのに、真逆を選ぶのですから、誤解されないようにすることは本当に大事です。集団に無理に強調していた期間が長ければ長いほど言い出しづらくなります。

普段から職場の雰囲気を良く保てるように心掛けることは状況を乗り切るには良いと思います。


最後の解決策は、なんだか参考にもならない内容になってしまいました。申し訳ありません。

一人でいること
近いうちに書きたいと思っています。多分解決策1につながると思います。

f:id:kechico:20200322142900j:plain

浅間嶺からみた秩父地方

 

ケチ子