私はケチである

ケチ子おばさんの雑談・独り言(^^)

人という字  …こっち辛い

人は人によって支えられている

人という漢字によく言われる言葉で、私も今までに耳にしてきました。

 

人という字

こっち、辛い

 

人という字を二人の人に例えるなら、字の2画めの人「こっち、辛い」

浪人生の息子が、現代文の授業で先生が言った言葉と教えてくれた。

 

晦日。前日に何とか無事に仕事納めを終えてほっとした。何とか今年も年を越せそう。有難いことだと感謝する。

「有難い」という言葉の意味も最近になって知った。「そうであることが難しい」。君たちはどう生きるのかという本に書いてあった。最近になって思う。字は読めるけれど文章は読めているのかと。

 

人は支えあっていると、人という字が表していると。その言葉は何だか私の中で理解できない気持ちがあった。本当に人はささえあっているのであろうか。

その気持ちが、ふっと心に収まった。「こっち辛い」の一言で。

 

人という漢字は人が歩く姿を横から見た象形文字と言われている。だから、人という漢字で人間は支えあって生きているとは一概に言えないのかもしれません。しかし、人という字は支えあっていると理解している人は多い事は事実だと思う。

 

でも、こっち辛い

はい、全くそうだと思う。2画目の人の方が大変に見える。この体制で人を支えることは並大抵の事ではないと思う。

しかし、人という字が二人の人間で構成されているならば、辛い人も、もう一人の人がいるから存在できる。崩れないのは一人ではなく二人であるから。でも、こっち辛い。

そうなんだ、こっちの人辛いと思って良いんだ。そう思った。支えあっているという枕詞が付けば、こっちの人辛いって言いずらい。思ってはいけないとさえ頭に言い聞かせる。それを、「こっちの人、辛い」と表現したのは、当然の事かもしれないけれど、当然の事を思ってはいけないような言葉の表現に一石を投じた。そして、その言葉で自分の中の気持ちがふっと楽になる人もいると思う。私もその一人です。

 

しかし、社会にはよくある光景。老々介護や親子関係等ではあるあるの場面と思う。こっちの人が辛くても、ささえることで成り立っている人間関係も確かにある。辛い人は支えることが生きがいになっている。そういう生き甲斐がある。

生き甲斐は、その人が思う事であり、他人に左右される事ではない。むしろ、尊重される方が良いと思う。大事なものは大事。

 

自立するしか可決策がないのかな。息子が言った。

 

そうかもしれない。

こっち辛い…の人、ならば自立する。解決策の一つだと思う。もう一人の人は支えが無くなってしまう。もう一人の人も自立すれば良いと思うけれど、難しいのが現実だと思う。支えあってはいるけれど、大きく支えられている。人という字は支えあっているかもしれないけれど支え方が均等ではない。それでは、こっち辛い。辛いから逃げ出そうとしたら、もう一人が倒れてしまう。支える負担も大きいけれど、心の負担もある。人ならば。

 

私にとっての人の字の意味は

1人で歩いている姿

1人がよい。支えることも、支えられる事も無い1人が良い。そう思った。