私はケチである

ケチ子おばさんの雑談・独り言(^^)

おばさんらしく生きる② 面倒な人間関係を整理する 親子編

 

 

 

 

おばさんになれば、歳を重ねることで今までの人間関係が少しづつ変わってきます。

私は宗教家ではありませんが、仏教では諸行無常と言われます。この世の一切の現象は常では無い。すべては変わり続ける。

 

自分を取り巻く環境も常では無く変わってくるので、それを受け入れれば良いと思っています。そうすれば面倒な人間関係はおのずと無くなっていく事が多いように思います。大事なのは自分の心の持ち方であり、今の普通が変わっていく事を受け入れ、執着しない事かなと思っています。

 

今ある普通が変わる事に執着しない

映画「スターウォーズ」のダースベイダーであるアナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちた理由は執着と表現されています。人間に執着心があるのは事実ですが、執着しすぎることは良くないと言えます。

まさに、諸行無常です。

 

おばさんの年齢になると、自分の身体機能に老いを感じるし、社会的な役割も変わるし、子供は成長するし…、孤独感を持つ人も多いかもしれません。しかし、これらは変わるのが普通なのです。

では孤独感をどうとらえるのかと考えると、孤独はその人が感じる事だと思います。なので、人によって感じ方が異なります。

例え話ですが、全く同じ環境の二人がいたとしてします。時の流れと共に環境が同じように変わったとしても、同じように孤独感を感じるとは限りません。孤独と感じるのはその人本人だからです。

だから、孤独と感じなければ良い。

そうすれば執着する事も無い。

 

社会的な役割の変化や、子供の成長などは、自分の役割が無くなることで喪失感を感じる人がいるかもしれませんが、役割が無くなったことで自分の時間が増えるのでやりたいことをすれば良いと思う。おばさんになってようやく手に入った自分の為の時間なので、役割に執着しないで、むしろ喜んでよいのではないかと。社会の役割を果たす為や、子供の親の役割をすることだけが自分の人生で無くて良いではないか。

 

人間の存在意義

確かに、人間は他人の役に立つことで自分の存在意義を感じる事が出来るかもしれません。これは場面によってはあると思います。

しかし、自分の存在意義が他人によるのかなぁ?と感じたことがあり、他人がいなければ自分が存在できないのかと思い直して、そうじゃないよなぁと。そもそも、自分の存在意義を他人にゆだねる事は自分に対しても無責任と思う。そして、ゆだねられた他人は迷惑でしかありません。(迷惑だと感じない共依存という人間関係もありますが…)

 

存在意義に関しては、自分の存在意義は今でも良く解りません。すみません。私は、存在したくて存在しているのではないから解りません(;^_^A。

 

自分の存在意義は解らないですが、子供含め、自分以外の他人によるものではないと思いますし、他人に頼らない方が良いと思います。そして、他人の存在で存在意義を求める人って結構面倒な人が多いように思うのです。

 

面倒な親子関係

変わっていく人間関係や役割の中で変わらず保とうとする親子関係があります。その多くは、子供に関わることで存在意義を感じている親です。

 

子供と言う他人の存在により自分の存在意義を見出しているので、面倒な人です。

 

子供に子供の役割を求め、それにより自身の親と言う立場を発生させます。そのような親子関係では、親は子供の事で快、不快の感情を持ちます。そうすると、親の感情は子供次第になります。子供は親の感情の為に自分の行動を選ぶようになれば、親が快の感情を持つ行動を選びます。誰も不快な人の近くに居たいと思わないからです。その事で子供は非常に疲れます。子供は次第に親が不快にならないような行動をすることを繰り返すようになってしまい、知らない間にコントロールされることもあります。親子関係は難しいです。

 

おばさん年齢では、親の立場と子供の立場の両方役割があることがあります。

高齢の親との人間関係では子供の立場であり、成長してきた子供との人間関係では親の立場。

結構微妙な立場だなぁと思います。

 

 

子供の為に生きる親、親の為に生きる子供

自分は自分の為に生きるほうが良い。

 

子供だって迷惑です。確かに産まれてから一人で生きていけるまでは親が育てますが、1人で生きていけるようになれば子供は人間であり、個人です。

子供が1人の人間になれば、親子関係は人間関係に変わります。人間関係になった親子が、関わると疲れるような人間関係であれば距離とる事や離れることも必要だと思っています。

親子だからといって、人間関係を築かずに関わってきて、相手を振り回しても良いという事はありません。親や子供と言う立場を盾にとって親らしくや子供らしくを求める事は無いし、求められることは拒否しても良いと思います。

 

 

血は水よりも濃し…とも言いますが、

親子の縁は遠ざけることも、切ることも出来ます。


解決策は

親子も、お互いを尊重し合う、一方的では無い、良好な人間関係であること。


だと、思うのですが、

そもそも、お互いを尊重する事が出来ないから、面倒な親子関係になっているのだと思う。

 

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