情けは人の為ならず
この言葉の意味は誤解されがちで、私も若い頃は「人に情けをかけることはその人の為にならない」と思っていました。
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後に、本来の意味である「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という事を知りました。仏教でいえば因果応報、善因善果のように感じます。
しかし、最近になって私なりにことわざの意味の解釈を変えました。はい、ケチ子流の勝手な解釈なので、誤った意味の解釈ですヽ(^。^)ノ。
ケチ子解釈「情けは他人の為ではなく、自分の心が納得する為である」
人間は社会生活をその人なりに送っており、私もセミリタイアをしているとは言えども、まだ仕事をしているので社会と関りがあります。
私は、人見知りとかではないのですが、人と関わるととても疲れるので、必要以上に人と関わることをせずに楽しみながら生活を送りたいなぁと思っています。
情けとは
情けとは人間味のある心、他人をいたわる心。人情。思いやり。
とあります。
職場の人手不足がきっかけ
最近職場の人手不足が進行し、どうしても人が足らないという日があります。私は気楽なおばさん生活なので、出来る範囲で出勤日を調整したり協力したいと思います。そんなこんなで、今月もセミリタイアしている私にとっては良く働きました。働いたら働いた分だけお給料に反映するのでそれはそれで良いのですが。
私は、なかなか頼まれると断れない性格で困っています。何だか自分が悪い事をしている様に思うのです。
先日、職場で病欠があり、急遽出勤しました。病気は誰もがなりたいと思ってなるわけではないので仕方がありません。
私は、その日を含め三連休(セミリタイアの身なので(;^_^A)の予定で、その日のみ天気予報は全国的に晴れ。まさに登山日和ヽ(^。^)ノ。10月末であり、11月に入れば閉山する山も増えてくる中、以前より行きたいと思っていた山に日帰りで行こうと計画していました。私は一人登山であり、日帰りではテント場などの予約も必要ないので、行く行かないは自分だけの判断です。
はい、その日は登山をせずに仕事をしました。
予定を変更して仕事をした理由
欠員で困っている職場の現状をを知っていて山に行って素晴らしい体験をしたとしても、私は楽しめないのではないか。
私は単なるスタッフなので、そこまで気にする必要は無いです。しかし、状況を解っているので協力しない自分が悪い事をしている様に感じてしまうのです。
自分が悪い事をしている様に思いながら登山しても楽しくないし、職場にお土産を買っても微妙な雰囲気になるだろうし。山での色々な体験を、楽しそうに職場の人に話すのも無神経(;^_^A。結局、楽しめないのなら仕事をした方が心が楽と思いました。
私の「情けは人の為ならず」
人間関係に疲れる私は、社会と出来るだけ距離をおいたり(セミリタイア)、深く関わらないように心掛けています。良いのか悪いのかは別として(;^_^A。
しかし、社会と関わっている以上全てを避けられる事が出来ないです。そして、物事をスルーする力が弱いので、そういう自分を認める事にしました(笑)。
情けは他人の為ならず
この言葉は情けをかける事は…という話の流れです。私の勝手な解釈と違う点は情けをかけない事は…という考えからです。
私にとっての情けは勿論他人の為ではありません。情けをかけない事は、自分が悪い事をしたと思ってしまいスルー出来ない。自分の心がマイナスの感情を持つのであれば、持たないようにしたい。自分の為の情けだと。
良いじゃないか、自分の心を守っているのだから。自分の心がマイナスの感情を感じないようにしようと判断したのは自分だから。誰に言われた訳でもない。
状況的に可能であれば、これは断っても良い、気が付いても気付かないふりしても良いと思うようにしましたが、おばさんの凝り固まってしまった脳みそはそんなに柔らかくありませんでした(;^_^A。
完全な自己満足ですけれど、お節介にならないように気を付ます('◇')ゞ。