TOKYO 2020 オリンピックがついに開幕した。
都内在住在勤の私ですが、何だか開催を待ちわびることは無く、オリンピックが身近で開催されるという気持ちを持つことが無く開会式を迎えるように感じていた。私の人生の中で最も身近な開催であろうオリンピックでなのに。
思い返せば、TOKOYO 2020が決まったのは、2017年で今から約4年前。TVのニュースで観たあの時の盛り上がりに、東京でオリンピックが開催されることをワクワクした。
2019年秋、息子の高校野球の秋大会の応援で神宮第二球場まで行った時、新国立競技場を目の当たりにしてオリンピックが開催されると実感させられた。
競技場近くの五輪のモニュメントの前で記念撮影する人もたくさんいて、年が明け2020年に世界全体がコロナ渦となることは誰も予想することは無かった。
TOKYO 2020が開催されるはずであった2020年は世界中が地球規模でコロナ渦となった一年であり、翌年2021年もその余波が収まる兆しは無い。開催が一年延期されたオリンピックはどうなるのかと誰もが思い、開催に対しては賛否両論に分かれた。
人類と感染症の歴史は古く今までにも大流行した感染症がある。天然痘(1980年:WHOが天然痘の世界根絶宣言)やペスト(黒死病)、スペイン風邪。スペイン風邪は、1918年に大流行し、世界の人口推定約18億人中4000万人死亡しており、人口に対する死亡率は約2.2%にも上る。昔の話のように感じるが大正18年であり、今年2021年の103年前である。現在の日本の人口1億2000万人として、もし死亡率2.2%の感染症が流行すれば、死者264万人にも上る事になる。とてつもなく想像も出来ない数字である。その他にも、梅毒やコレラ、結核やHIVやSIRSもある。人類は常に感染症と戦ってきており多数の罹患者や死者を出すことを繰り返してきた。
感染症と人類の歴史の中で、近代感染症との戦いは大きく変わったことがある。それは医療が発達したことと、情報化社会となった事だと考える。
コロナウィルスとの戦いは、人類が今までに対応したことが無い戦いを強いられている。それは、医療という受け皿があって当たり前の社会にもたらされた重症呼吸不全を起こすことがある事と、情報化が進んでいるにもかかわらず感染を抑え込めなくなっている事の二点だと考える。
今までの感染症の流行を考えると、今回のように誰もが医療を受けられるような社会では無かったのではないか。近代医学の発達はそれほど歴史は深くない。杉田玄白の解体新書は1774年、江戸時代では10代将軍家治。翌年にアメリカの独立戦争が始まるという時代。しかも解体新書は今の医学では解剖学である。花岡青洲が全身麻酔の手術を行ったのも1804年、フランスでナポレオンが即位している。1822年にはコレラの大流行し、幕末の日本では緒方洪庵が記録を残している。しかし、これらの時代ではすべての人々が医療を受けられる時代では無かった。感染したら死。それほど感染症は多くの命を奪った。
もし、コロナウィルスがこの時代に流行ったならば、情報が無く感染経路を立つことは皆無、感染力が強いコロナ、想像を絶する感染者数に登ることは間違いなく、栄養状態も考えると重症化率も今よりはるかに高いであろう事は容易に想像できる。しかし、感染症と人類は鼬ごっこなので、この時代にはまだここまでややこしい病原菌は発生していない。鼬ごっこの末に、人類と同じように生き延びようとするウィルスの変異でコロナウィルスが発生したと思っている。そして、コロナウィルスも変異株に進化し生き延びる努力をしている。
コロナウィルスの流行は情報化社会に対応している?
コロナウィルスの感染者数が毎日ニュースで報道されている。何故だか東京だけが感染が収まることが無く増加が続いている。その対策で緊急事態宣言4回目の発令をされている。何時も何だか東京都民はいつも都外に出られないようになっている。全体像を観てみればその事に全く理解できない事も無いが、それを強いられる都民である人間としてはかなりのストレスでもある。東京での感染が抑え込めない事には何かしらの理由もあると感じているが、それを報道されない事にも理由があるのではないかと思う。昔に比べれば、考えられないくらいの情報が手に入る時代にも関わらず、人から感染する感染症を防ぐことが出来ない社会とはどういう社会なのかとも考える。
感染者の人から飛沫感染するコロナウィルス。ならば、人と関わらないと感染しない。その事でソーシャルディスタンスという言葉が出てきた。この先には公用語になるのか。私は人と関わるのが苦手だが、人間は集団生活を好むため、人との関わりが無いことにストレスを感じる。誰か、社会と関わっていないと不安になるのであろう。その心の空きに入り込めたコロナウィルスかもしれない。
一方で、コロナウィルスは、インターネットが普及した社会で、人と関わらないで仕事が出来ることを証明できるきっかけとなった。コロナウィルスがもたらした唯一の資産と言っても過言ではないと思う。東京でなければ仕事が出来ない事は無いことを証明したと言っても過言ではない。情報化社会が学んだこと。
コロナウィルスは情報化社会に対し、良くも悪くも大きく考えさせらるる問題を投じた
人類はコロナウィルスがもたらした問題に対応できているかは疑問である。それは、収束できていない現状があるから
コロナウィルスは医療が発達している社会が初めて直面した感染症である事。
2021年に開催となったTOKYO 2020の開会式でブルーインパルスが東京の空を舞った。
思い返せば、昨年にも東京の空にブルーインパルスが登場している。その時は「医療従事者を勇気づける」と言われた。
コロナ渦で、人々の多くが戸惑いの中で過ごしている時。一昔前の社会では人の命を救う事は出来なかった。多くの死者を出している。しかし、今の世の中、医療は人命救助に全身全霊を尽くす。それが当たり前の社会になっている。それが普通の社会。時代が変われば普通も変わる。医療に対し初めての試練をコロナウィルスがもたらした。
感染者数と重症化患者数
その数を受け入れられる医療体制と感染者の隔離体制
受け入れられない状況はあってはならない。非難の的になる。医療現場も崩壊するが、経済も崩壊するであろう。未来を想定できない。出来ることは感染者を増やさない事。しかしながら、これだけの情報化社会でも対応できていないのではないか。感染者数が落ち着くことは無い。先は皆でワクチンを打って感染者の重症化を防いで共存を目指すのか。
昨年、ブルーインパルスが東京の空に登場した時は観れなかった。何だか心がもやもやしたのを覚えている。
励ますって何?と思った。
励ますという言葉の意味を調べた
気持ちが奮いたつようにしてやる。元気づける。力づける。激励する
ブルーインパルスが空を飛ぶことが人々を励ますのか
TOKYO 2020開会式当日の昼、職場の窓から遠くに飛ぶブルーインパルスを観ることが出来た。初めてブルーインパルスを観た。
かっこよい。当日の東京の空は雲が所々にあった。ブルーインパルスが飛ぶ空は青空であってほしいと思ったが、天気は人の勝手な思いで変えられない。そのような空である舞台を誇らしく凛としてブルーインパルスは飛んだ。写真を撮りたかったが、それよりも自分の目で見ていたいと思った。心が嬉しい感じた。
ブルーインパルスの事を良く知らないが、航空自衛隊という事は知っている。つまり税金が使われている。経済的な事は良く解らないが、国民の一人である私は、ケチなので、経済効果も含めて税金が有効に使われているかがとても気になる。ブルーインパルスが飛ぶことで人は何を感じるのか。
一部の人は、こんなことに税金を使ってもったいないと思う。私も思わ無いことはない。ケチだから(笑)。
しかし、実際に東京の空を飛ぶブルーインパルスを観たら心が嬉しいと思った。かっこよいヽ(^。^)ノ。良いものを観た。こんなに良いものを観れて、良い体験が出来た事が嬉しい。
ブルーインパルスが飛ぶ空は 観た人の心が嬉しいと感じる
観る人の心が嬉しいと思う事が出来るブルーインパルスの飛行は素晴らしかった。誇りをもって、東京の空を飛ぶブルーインパルスを観れたことは忘れられない体験になった。観ることが出来た人々に嬉しいと感じる事を出来る事は素晴らしい。
今まで経験したことが無いコロナ渦の生活を送る中で、一瞬であったが心が嬉しいと感じた。ブルーインパルスが東京の空を飛ぶことは非日常である。非日常を体験できた。そして、それは東京オリンピックが開催されると実感するきっかけにもなった。
TOKYO 2020
この大会に不安要素はてんこ盛りなのは事実。オリンピック史上で歴史に残る大会になることは確定している。その歴史が良い歴史になるのか、そうでないのか。無事に閉会式を迎えることが出来るのかもわからない。良い歴史になって欲しいと思った。