私はケチである

ケチ子おばさんの雑談・独り言(^^)

おばさんとインターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

おばさんの私にとってインターネットとは何か。

とても便利な物であり、私も日常で頻繁に使っているものである。

思い返せば、学生の頃はインターネットが普及していなかった。学生の頃、まだ実家にいた私は、新しい機器を買う親の下で育った苦笑。なので、PCの先駆的存在でもある98noteも家にあった。両親や兄は家にあることを自慢していたが全く使わない。実家ではチャンネル権も無い私はこの先駆者的PCを使って遊ぶのが楽しかった。全く分からない事だらけであったが、私には楽しかった。一文字入力するにもキーボードの配置を知らなくてはならない。コンピューターに指示を出すにはコマンドも打たなければならない。その事がきっかけで良かったと思う事がある。知らない事でも取り組むことで解るようになる。そうなのです、解らない事でも、自分が習った事でない事でも、知ろうとすれば理解できる。

就職して数年、ボーナスをもらった時にWindowsが使えるPCを買った。Windows95が入っていたことを今でも覚えている。当時は電話回線を使ってのネット接続。画像は遅いし動画なんてとんでもない状態。それでも当時では今ほどではないにしろインターネットの世界の広さを感じた。もっと多くの人がインターネットを使えればと。新しい情報源になることは、ど素人の私にもわかるほどだった。

それからの世の中の改革は今までの常識を大きく変える事であったと思う。それは、インターネットの普及する前と後の世代の育った環境の大きな違いとなった。俗に言われている産業革命以降のIT革命であると私は思っている。

私の子供たち世代にとってはインターネットはあって当たり前、私の親世代にとっては全く未知の物であり、理解しがたい存在。そして私のようなインターネットの普及と共に育った世代にとっては、吸収できた人とできなかった人に大きく分かれる。だからと言っても、インターネット自体はスマフォでも見られる時代になった。その事で解ることがある。

インターネットは多くの人々が楽しめるように難しいと感じる操作をなくしたことで普及した。

スマフォに関してもそうである。少しの知識でも使える。20数年前は一部の人しか使っていなかったインターネットが、今では若者のほとんど、中高年でも大多数かもしれない程のユーザー数に膨れ上がっていた。

 

そんなITのインフラが整った社会ではインターネットを楽しめる人が大多数になった。それは、色々な人にチャンスをもたらした。自己表現が出来るチャンス。

 

一昔前ではオタクと呼ばれていた趣味は、その分野に精通する専門家的な立場へと変わった。オタクと言われる人たちがインターネットで交流できるようになり、深い知識が役に立つ知識に変わった瞬間でもあったと思う。それは、あっぱれな現象だと思う。影に潜まざるを得なくてはならなかった趣味が堂々としても良い。一つの事に精通できることはとても良いと思う。最近はTVでも取り上げられることが多くなってきたようにも感じる。

 

インターネットの普及は、自己表現が出来る場所も提供された

 

それまでは、自己表現するには人々に知ってもらえる事が一番の課題であった。インターネットの普及は人々に知ってもらえる環境を得ることが出来たと言っても過言ではない。しかし、何事も容易いものではない。

これほど成長したインターネットの世界では、観る側も目が肥えてくる。生半可な知識を出してもそうなのかと終わってしまう。今では大学生になった子供の小学校卒業式で、将来なりたい職業をいうという企画があった。息子の同級生の多くがユーチューバーと答えた。

 

インターネットを使っての自己表現の方法は文章と動画の二種類がある。動画は嫌いではないですが、やはり文章の方が好きです。動画は伝えたい人の思いが比較的伝わり易いと感じる。それは、中身が無いものすぐに解るという事でもある。文章は、はしょって読むこともあるが、中には内容が濃く行間まで読むものもあります。読み手で吸収をコントロールできるのも文章です。

 

文章は難しい。書き手と読み手が必ず同じ思いが感じられるかという事。書き手が読み手に感じてもらえるように表現すれば説明文になってしまうし、読み手が感じられるような表現をすれば、書き手の思いがすべての人に伝わるかは疑問に感じる。

 

しかし、インターネットの普及により誰もが自己表現できる場を得られたことは、おばさんの私にとっても自己表現をする場所を得ることが出来ました。

自分が自分としていられる場所が持てる。インターネットはその場を提供してくれました。多くの人が共感してくれれば嬉しい。自分を肯定してくれたように感じる。しかし、その反対もあり、顔の見えないネット社会ならではの黒さもある。目をそらしてはいけない現実である。

しかしながら、色々考えすぎることも良くない。私は私。

私ながらの表現で、自分自身を成長させながら、ブログを書くのも良いではないか。当時の私が思った初心を忘れないように。